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2011/04/26

The Threat of Caring “What Other People Think” 和訳

WeYüMeの記事「The Threat of Caring “What Other People Think”」
凄く長いのだけれどブラッドの考え方、生き方を明確に理解出来るし
とても共感出来るものであったので、なるべく沢山のヒトに読んでもらいたいと
英語力の限界から誤訳があるのは避けられませんが、日本語にしてみました。
長いけど、でも是非読んで貰いたいです。全訳です。
(括弧内の小さい文字は私の注)

元記事はコチラ
今回のこの記事はツイッターでブラッドに寄せられた問いへの答えです。
はっきり意味が掴めなかったところは訳してもやっぱり意味不明でごめんなさい。

 



『同調圧力の脅威』
 (ってこの時点で主観が入ってしまってるよな気もしつつ)

Q&Aは @GoCheeksGo で毎日受付中。

「誰かに一般論でくくられて自分を判断されたらイヤですか?
 どうやってそれを乗り越えますか?
 私がクリスチャンである事から「頭のおかしい憎悪に満ちた人間」だと見なされる事実に
 辟易します -@AR463」


確かに以前は不愉快に思っていました。
物心ついた頃からアイデンティティや能力に関して偏見を持たれていました。
今も変わらずに、しかも仲の良い友人からでさえ。
少し前の夜の事です・・・

ストレートの男子の友人に僕は2リットルのソーダの(瓶の)蓋を開けられないと思われたのです。
彼は自分はその瓶を開けられる腕力のある男子だからと言う明白な意思表示の元、開けてあげようと買って出ました。
冗談なんかぢゃなく本気で。
彼は僕が開けられない事をちょっと可愛いと考えたワケです。
えぇっと、もしもし?
(ちなみに、彼はそれを開けたんだけど・・25分格闘しましたよ)

人間と言うものは良くも悪くもこう言うヒトだと決めつけてしまうモノだと言う事を
学びました。友人だろうが見知らぬヒトだろうが。
それがまず1点です。

決めつけないヒトは居ない:

The Fall of The Haus of Gagaで、人間なんて下らないものだと書きました。
僕のお気に入りの言葉を引用します。

「誰も何も知らない」 William Goldman

同ぢ考え方です。

何も知らない事に加え、誰しも何がしかの判断を下すと言う事も真実なのです。

「私は判断を下す、それゆえに存在しているのだ」(より明確な言説でしょう)

「偏見なんか持ったりしない」なんて言うヒトの事を考えてみましょう。
そういうヒトたちこそ、自分の愚かさに気が付かないヒトの典型です。

判断を下す事は生存本能である。

何年か前の8月の晩、僕は車を取りに住宅街を歩いていました。
突然、3人の暴漢がこちらに向かって歩いてきました。
最初、踵を返しそうとしました。本能が「危険だ!」と警鐘を鳴らしたのです。
すると頭の中ではこう考えたのです。「わぉ、僕ってこんな人種的偏見を持ってるヤツ
だったんだ。ほんとに走って逃げるつもり?まさかそんな世間の刷り込みに従って行動するような
ヤツだったとはね。ホントにそんなヤツだと・・」ちょっと待った、何ごと?

僕の思考は顔面に突きつけられた銃で途絶えました。

ふむ・・。

警官が犯人についての説明を求めたときですら、口ごもってしまったのです。
「えぇっと、そうですねぇ、彼らは・・・」

僕が作り話でもしてるかのような目つきで警官が「黒人?白人?メキシカン?」と聞いてきました。

「黒人でした!」最初に警官の方からそう言って呉れた事を有り難く思うかのように僕は答えました。
「そうです!黒人でした!」

なんで犯人が黒人であると言う事を僕は躊躇ったんだろうと心の奥で思った事を覚えています。

偏見を持たない事を非常に気にかけている文化(と言うのが僕の認識です)に住んでいるからです。
しかし判断を下す事が我々の本質であるのでそれは100%有効ではないのです。

むしろ我々はどうしてこのような判断を持っているのかと言う事を意識するべきであり
それに耳を傾けるべきです。


当然ながら僕は「黒人は悪人である」と言う判断(偏見)を理由には立ち去りませんでした。

  本能に忠実であれ、たとえそれが己の心情に反しても。と言うのが僕の「判断」だったのです。

気を回し過ぎたのです。「絶対にあの黒人達は皆から恐れられて逃げられてる。
あのヒトたちを傷つけたくない」人種差別でないかと僕が感ぢた事は、実際の所
「ここから逃げ出せ!」と言う生存本能だったのです。

思慮分別と偏見を区別していなかったのです。

とにかく「それ」を持たないようにしようとしていたのです。

新しい恋人とデートしてるとしましょう。まだお互いの事は良く知らない時に恋人の
家族を初めて訪問したとします。
一家に代々伝わる壷のコレクションを見せられ、剥製を作る作業場を見るツアーに連れ出され
そしてそれらが美しいかどうか答えるまで泣きついてきて決して離してくれないとします。

ノーマンベイツでもない限り、そこから逃げ出すでしょう。何故でしょうか?
だってこのヒト達は く る っ て る !

それが分別です。

だからと言ってデートをするのをやめますか?勿論そうではないでしょう。
・・だけど、もう一度家族に会って欲しいと言われたら2、3質問するだろうと思います。

それがもう一度同じ状況にはまらない為の分別思慮深さです。

論理。推論。生存。


あなたについてのことではありませんが:

皆、自分のフィルターを通して世の中を見ています。

「世の中の在り方」を固定したフィルターを通して見る事により、ある人がその人自身で在る事を
認めないヒトもあるでしょう。
彼らはあなたが何物であり何が現実であるかを先に決めてしまっているのです。
(皆狂ってる→あなたは狂ってる→そんなヒトとデートなんて出来ない/黒人は犯罪者だ→キミは
 黒人だ→キミは僕から盗みを働くだろう)

フィルターによる心理的な不安は無自覚なものです。

共同体の「判断」は人々の過去の経験だけから来ています。

したがって他者を判断する事は他者の問題に他なりません。


そして・・それが(自分とは違う)他の人間(他者)なのであり、それだけのことです。


ではあなたの問題に目を向けてみましょう:
判断を下す事は他者の問題であるのと同様、判断への懸念はあなたの問題です。

それは実際の所、あなたの幸せへの脅威であり
またキリスト教徒のコミュニティ全体への脅威でもあるのです。


その理由:

「クリスチャン」「ゲイ」に属している事から自分はこんな風やあんな風に
思われるのだろうと気にしたなら、
それはあなたが人々の一般化を現実のものだと認めている事になるのです

「でも私はそんな風ぢゃないのに・・」と主張するとしたら、それは暗に
クリスチャンはたいていそんな風であると言う事を含意しているのです。

そのような態度を取る事によって、巨大で猛スピードの社会的偏見を乗せたバスの車輪に
(巻き込まれるように)キリスト教徒の同士達を投げ入れてしまうのです。

もしあなたが「クリスチャンなんてたいてい狂ってる」と考えるクリスチャンであれば
(自分への偏見を不本意だと感ぢる事は)あなたが思っている事実と呼応する完璧な方法だと思います。

そうではなく、クリスチャンの多くは大いに誤解されてると思っているクリスチャンで
あるのならば、あなたの世界観と否定論者のそれとは根本的に違っていないでしょうか?

あなたの世界においてクリスチャンは善き人々なのでありあなた自身もその中の一員です。
だからこそ、あなたを知る事なく人々が事実と違った風に思う事で思い悩むのです。
したがって、あなたはあなたで在り続けるのです。結局の所、それこそがあなたが
実際に生きている世界なのです。たいていのクリスチャンがとても素敵である世界が
あなたの生きている世界なのです。


個人的経験:

僕の大変親しい友人の1人、どれほど大事であるか言い表せないくらいのヒトなのですが
彼はとても敬虔なクリスチャンです。毎日聖書を読み、週に一度ならず教会に行く彼の人生は
クリスチャン的なもので成り立っています。

僕たちは子どもの頃からの友人です。何でも話しますし、笑い話、莫迦話し、内輪の冗談に
何時間も費やしてしまいます。本当に仲が良いのです。

さっき彼からメールが届きました。
君を受け入れない教会があったとしても、それは君の人生の中にキリストの無条件の愛とそして
友人としての僕からの愛が無かったと言う事を意味する訳では決して無い。と書かれていました。

もし「クリスチャンは頭がおかしい」と言う偏見を持ってたら、その言葉をキリスト教への勧誘と
思ったか「改宗者」みたいだなと呆れたんぢゃないかと思います。
そんな偏見は友人が僕に対してどんな人であったのかを見誤らせるだけです。
目一杯の誠実さで彼は僕を大切にして呉れているし、その想いと気遣いを伝えて来て呉れているのです。

そして僕が来週も彼の教会へ行かずにいる間に、僕たちが友人として共有している親密さの度合いに
ついて新たに思い至るのです。

同様に、聖書を持ったデモ隊員よりもこのようなクリスチャンを僕は尊敬します。
すなわち「クリスチャンは狂ってる」と言う一般化は僕の知る現実から見ると異世界です。

友人は自分がケチなクリスチャンではないと言いたかったのではありません。

彼は単に僕と共に彼のままで在り続けたのです。

彼はクリスチャンの人となりを教えて呉れました。

親切で、素晴らしく、知的である事を。

僕が知る最も魅力的で尊敬すべき素晴らしい人々はとても熱心なクリスチャンであると言う事も
付け加えたいと思います。
クリスチャンへの否定的な意見を持ちあわせていない事で生み出された答えは、
他の人々が(自分と)同じ現実を見るかもしれないと言う可能性であり、それは人々の心の変化を作り出すのです。

要するに、この変化の大いなる可能性こそが僕が今、事の詳細を考察している理由なのです。

わぉ、一周して戻って来た。


トリックは以下の通り:

ただあなたのままで在り続けて下さい。

使い古した言葉に聞こえるかも知れません、しかしこれが大規模な社会的運動に最大限効果的な
方法であり、そしてそれは自分の行動、態度及び心のありようへの責任を負う事と同ぢくらいに
簡単です。まぁ確かに、言うは易し行うは難しですよね。だけどちょっと待って、

他の何に目を向けるべきでしょうか。

どのように自分を定義し、世の中で行動していますか?
それはあなた次第です!あなたの問題です!・・・だけど有益なものなのです!

結論:

忘れない事:ヒトの目を気にする事によって、世の中がどうあるのかと言う世間のレッテルを
受け入れてしまっているのです。


感謝の気持ちをもって自分が自分である事を受け入れ、そしてそのままで在り続けて下さい。

あなたが関わる人々とそしてこの世界の為に

以前は「ヒトがどう思うか」をとても気にしていた人間であるように話す事、
(=今はそうではないと言う事?)
この方があなたのエネルギーを有効に使えます、絶対です。




以上です。

以下、軽く感想など。これ以上読むのは鬱陶しいと思うのでもし興味があれば・・。

自分が自分で在る事を感謝を持って受け入れ、そのままで在る事以外に出来る事などないのでは
無いかと言うのがブラッドの一貫しての思想であり哲学であり生き方です。

自分の不幸を嘆いたり自分を取り巻く状況に不満を募らせたり、原因(理由を)外に見出し
或いは誰かのせいにしたりする事はそこから抜け出す方法ではないと考えるのです。
そう思っている限りその価値観に絡めとられているのであり、同ぢ穴の狢であると。


ブラッドの核は「信ぢること」なのだと思います。
自分を、ヒトを、世界を。

考えてるうちにIt gets betterの字幕ビデヲの時に書いたモノと同ぢ事を辿るだけに
なりそうな事に気付いたので、ここまで。

 
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